【競馬】(一夏の思い出) レディブロンド の当時を書いてみる

「ん?待って、この勝ち馬!?」


…と、目に留まってしまったのはとある1000万下(今の2勝クラス)。

函館1200mと小回りのレースでしたが、ある5番人気が内からスルスル抜けていき、人気馬達をハナ差で差し切って勝ちをおさめたレースでした。
確かに勝ち馬の勝ちっぷりは良かったですが、特に気にして見ていなければ普通のレースと言えば普通のレース。
それが何故目に留まったのかというと、その勝ち馬が何故そこまで人気になっていなかったのか、当時の私は競馬新聞の馬柱を事前に見て知っていたためです。


何せこの馬このレースがデビュー戦。

しかも、もうすぐ夏を迎えるという、旧年齢でもない5歳牝馬が…
別にハンデ戦というわけでもなく…です。

確かにこの馬の預けられている関東の名伯楽である藤沢和雄厩舎では、デビューの遅い良血馬が500万下(今の1勝クラス)をデビュー戦で勝つようなケースはありました。
しかし、それでも大抵は3歳、もしくは明け4歳の牡馬といったところでしょう。
そのため、今回のケースはあまりに異例でした。


すでに記事のタイトルにしてしまっているので隠しようがないですが、その馬の名前はレディブロンド。
私が一夏の間に虜になった馬です。


デビューの1000万下を勝利後、次のレースは500万下。
格下相手になる今度は危なげなく快勝。
その後、今の賞金システムでは変に思えますが1000万下に二度出走。
どちらも格付けは済んでいるとばかりの快勝。
因みに4戦目の2着馬はデビュー戦で2着だった馬で、3戦目も一緒に走ってます。


6月下旬から走り、この間約2ヶ月。
夏の函館1200mに非常に楽しみな逸材が現れたとして世に知られていきました。

そして1ヶ月空いた次のレースは中山の1600万下1200m。
昇級初戦にも関わらず、牝馬で56kgとハンデは見込まれましたが、ここでも圧倒的1番人気に答えてキッチリ勝利。



この馬どこまで強いんだろう。
その答えを出す機会は驚くほど早くやってきました。



なんと翌週!
連闘でG1 スプリンターズステークスへの出走をしたのです。


名スプリンターであるビリーヴの引退試合となったレースでしたが、期待を向けられの単勝3番人気。
結果、初めて土をつけられることになりましたが、見せ場たっぷり、勝ち馬から0.2秒差の4着。

次はどれだけの走りを…と期待していたのですが、その後すぐに引退となってしまいました。



結果、この馬の獲得賞金は1億もなく、重賞も勝っていません。

しかし、出走歴わずか4ヶ月も無い間に5勝を上げ、あわや連闘で出走したG1で勝ち負けするという、こんな破天荒なパフォーマンスを見せた馬を私は知りません。

当時を見て、私のように追っていた人はドキドキしたのではないでしょうか?
それだけ、この馬は印象に残る馬でした。

しかしながらここは勝負の世界。
重賞も勝たずに引退したこの馬のことは、一部のファンの記憶だけに残り消えて…






…いくことはありませんでした。


それこそ、この馬の引退した年、ものの数ヶ月でこの馬の名前を再度見るようになったのです。


姉にレディブロンドを持つ弟、ブラックタイド



そしてその翌年の弟、ディープインパクト



私にとって、デビュー時から彼らを知り、期待を向けていた最たる理由は、この偉大な姉、レディブロンドがいたためだったのです。



…ということで、前回のディープインパクトに関連する話ならコレだ!というレディブロンドのお話でした。

レディブロンドは早逝してしまいましたが、繁殖としても成功をおさめるのですがそれはまた別のお話。

やっぱりウインドインハーヘアの血統は色々ヤバイです(笑)

 

それでは