今更ウマ娘映画化を知ったので2001年クラシック世代を語る~その⑩~クロフネ

クロフネが挑もうとする天皇賞秋ですが…

この天皇賞も長い間外国産馬に開放されてこなかったレースで、2000年が開放元年でした。

ですので、オペラオーの横にドトウが当たり前のようにいたわけですが、実は外国産馬のドトウが天皇賞に出ていたというのは開放元年の出来事だったというわけです。

当時の外国産馬の出走枠は2枠。

1枠は前回でようやくオペラオーにリベンジを果たしたメイショウドトウでほぼ確定。

とはいえ、クロフネもG1を勝っていますし、2枠目で問題無く出走できるだろう。


…と、思われていました。



急遽、前走で地方のG1である南部杯を勝ったアグネスデジタルが参戦を表明したのです。

さて、知っている人はともかく、当時のアグネスデジタルはというと…


はっきり言って普通のダート馬。
ダートではある程度安定した成績を収めていますが、芝はたまに出てくるも成績振るわず。

芝での勝利は過去にたった1回だけ。
ただ、その1勝がまさかの昨年のマイルCS(G1)です。
加えて、ダートで稼いだ賞金があったため、クロフネの稼いだ額を上回って出走枠をふんだくったということです。

今までダート含めても2000mで成果を出しておらず、馬場も違うし距離も違う。
なんでこんな馬が出走表明してくるんだ!

当時このニュースはかなり荒れました。
勝ち目の無い馬が勝機のある馬の出走枠を取りやがって…と。
それだけクロフネに対する期待は高いものでした。

しかしながらこれが現実。

かくして、クロフネ古馬挑戦への道は不運によって途絶えてしまったのです…



…と、なりませんでした。



陣営の決断は


「じゃあ、同一週のダートで!!」


と、まさかのダート1600mのGⅢ 武蔵野Sに出走を表明。



陣営としても一度ダートを試してみたかったようで、出られないならそれはそれでヨシ!といった感じでした。



とはいえ、ダートの強豪相手にダート初挑戦の馬が挑んできたわけです。

当然惨敗もある…ということで、当日は1番人気なものの2倍台のオッズとクロフネにしては控えめ。


きっとレース直前まで翌日の天皇賞秋での姿を見たかった思っていたファンは多かったでしょう。
私もその一人です。



…が、その時、正真正銘の化け物を見たのです。



3、4コーナーあたりでスーっと外からいって


そのまま気が付いたら他馬が置き去りにされていって


9馬身差!!


何が起きたかわからないくらいの圧勝。


そして衝撃の走破タイム!



勝ちタイム: 1.33.3 (良)



軽く説明しますと、芝とダートを比べると明らかに芝の方がタイムは出やすいです。
そして、芝は雨が降るとタイムが遅くなるのですが、ダートは雨が降った方がタイムが出やすく、現在多くの競馬場のダートレコードはほぼ雨の降った道悪馬場でのものです。

それが、良馬場で、しかもタイムはほぼ芝のレースと遜色の無いタイム。

因みに元のレコード保持者のナリタハヤブサは、現役時に4度のレコードを記録し、快速馬として知られていた馬です。
タイムは1.34.5は良馬場で記録したものでした(ということでナリタハヤブサも相当強かったと思われます)が、ダート1600mの走破タイム1分34秒台は当時壁があったようで、このタイムは更新不可能だと言われていたようです。

そのタイムをなんと1.2秒更新!!


もう翌日の天皇賞秋のことなんてどうでも良かったです。
むしろこの怪物に出会わせてくれたアグネスデジタルに感謝するまでありました(笑)


因みに、怪物お披露目にしてやったりな裏の立役者であるアグネスデジタル


天皇賞秋は雨が降りズブズブの不良馬場でしたが、枠を分け合ったドトウ、及び圧倒的人気のテイエムオペラオーを相手に、大外一気の差し切り勝ち。


「勝ち目無いとでも思った?」


と言わんばかりの、こちらもまさかまさかの結果。


レース前の荒れに荒れたファンたちの状態を、二頭とも完全に黙らせるような結果を見せてくれたわけです。

それが1日違いで見れたということで、この年で最も事件の起きた週であったと言えたのではないかと思います。



あとはダイジェスト的にしますが、

クロフネはこの後ジャパンカップダートに出走。
海外の強豪もいましたがおかまいなし。
またも圧勝7馬身差のレコードで、中央の芝ダートG1制覇という初の偉業を成し遂げました。

その後はファンの期待を一身に受けドバイワールドカップを目標に調整するも故障で引退。
ただ、このダートの2戦の印象があまりに強烈だったため、たった2戦だけとはいえ日本競馬界においてのダート最強場の名前を挙げるときに真っ先に名前が出てくるほどの馬になりました。


ついでですが、アグネスデジタル香港カップに出走。
当日は日本馬が合計3勝するという快挙を成し遂げましたが、そのうちの1勝、最後の香港カップをもぎ取りました。
明けてフェブラリーステークスも勝利しクロフネと同じ中央の芝ダートG1制覇を達成、さらに、地方砂→中央芝→海外芝→中央砂という条件でのG1 4連勝をしたことで、条件不問の紛れもない変t…オールラウンダーということで競馬界にその名を刻みました。


ということで、いつか書きたいと思っていた2001年天皇賞秋の出走枠問題&その後についてでした(笑)